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My Profile
 
 
井関 るみ/Rumi Iseki
フルート奏者&作・編曲
 
13才よりフルートを始める。
洗足学園音楽大学卒業。卒業後、オーストリア、モーツァルテゥム音楽院サマ−アカデミーにて、ソロ、室内楽を学ぶ。
現在、様々な編成のアンサンブルを中心に、そして様々なジャンルを吹きこなすマルチフルーティストとして活躍。
その他、作曲や編曲も手掛けている。
徳間ジャパンより4枚のCDを、ドリーミュージックより1枚のCDを、GRACEオリジナルCD「愛しき人へ」をリリース。
ビムスエディションズよりフルートアンサンブルの楽譜を出版中。
2005年3/2〜8/6劇団四季“夢から醒めた夢”のロビーパフォーマンスに出演。
今までにフルートを大和田晧、木下芳丸、ペータ・ルーカス・グラーフの各氏に師事。
 
フルートカルテット《GRACE》、和と洋のコラボレーションユニット《結》のメンバー。
   
 
《ミュージシャンへの道のり》
ある日、佐賀県伊万里市に井関家の末っ子として生まれる。
幼い頃は、とても泣き虫で(今も涙腺はよわいけど・・・)まりちゃんと言うとても活発な女の子にあこがれ、いつもついてまわってた保育園時代を過ごす。
 
そんな、まりちゃんがピアノを習っていて、お稽古に幾度となく、くっ付いて行くうちに、自分もピアノを弾きたくなる。母にその旨を伝えるが、何をやっても三日坊主だった私は信用も薄く、どうせ長続きしないだろうと簡単に却下される。
でも、その時の私の意思は強く、5年間言い続け、やっと小学校5年生の終わり頃ピアノのお稽古に行かせてもらえるようになる。今思えば、けっこう頑固な母親だったかも・・・
 
小学校6年生の時、姉が持っていたフルートに興味が湧き、吹き始める。その勢いで中学校はブラスバンド部に入り、朝練、昼練、夜錬と部活に明け暮れる。
そう言えば、私の家には、卓球台があり(本格的なでかいやつ)小学校5,6年の時、家族でよく卓球をやっていた。そのうち、私の友達もはまってしまい、中学生になったらみんなで卓球部に入ろうね!な〜んて言ってたのに、入学式の歓迎演奏を聞いてすぐブラスバンド部の戸をたたいた私は、みんなに裏切り者呼ばわりされる。
そんな非難にもめげず、ついに卓球仲間の二人もブラスに連れこみ、楽しい中学時代を過ごす。
 
高校生になり、さて何部に入ろうか悩む。なぜかと言うと、当時、私の行ってた伊万里高校には、残念な事にブラスバンド部がなかったのだ。(今は、できたらしいが)
そして、校内をふらふらしていたら、中学校の時のブラスの先輩に捕まり、何も決めてないのだったらうちの部に入りなさいと連れて行かれる。着いた所は「書記部」タイプライターを打ったり、速記の勉強をする所らしい。すぐに帰るのも悪いので、とりあえず入部、一週間後に退部。私には向いていなかったようだ。
 
そのあと音楽室をのぞきにいってみた。えっっっ!なんか見るからに不良ぽい兄さんがギターを弾いている。
あっ!目が合ってしまった!こわい!ちょっと来い!と呼ばれる。
どぉしよ〜と思いつつも、怖いもの見たさで音楽室に入ってしまう。
《ここから兄さんの話》
いいところに来た、まぁ俺の話を聞いてくれ。実は今、ギター同好会(人数が少ないため部になれないらしい)は大変な境地に立たされている。今の3年生が卒業してしまうと、自分ひとりだけになってしまい、同好会としてもつぶれてしまう。
ここで会ったのも何かの縁、何もやってないんだったらギター同好会に入ってくれ!                                    《ここまで兄さんの話》
と頼み込まれ、断るのもなんなので入部してしまう。おまけに部員集めまで頼まれてしまった。
強面の兄さんと(ながしをやりながら)各クラスを回り勧誘、名前だけでもいいからと5人程同好会員に席を置いてもらった。
そして3年間無事、ギター同好会もつぶれず、翌年には部に昇格したそうな・・・
そおこおしているうちにもう3年生、進路を考える時がやってきた!(ちょっと遅い?)
 
高校生になってからピアノに加えて声楽のレッスンにも行きだす。フルートの方は自己流で吹いてはいたが、先生にはついていなかった。(当時、伊万里にはフルートの先生がいなかったのだ)
こどもの頃から音楽が大好きで、なんとな〜く音楽をず〜とやっていけたらいいなぁと思っていた私は、音大に行こう!と進路を決める。
で、選択楽器は何にするか?と聞かれ、ピアノの先生は、声楽をと思っていたらしいが、(ピアノは曲ばっかりさらって、基礎練習をさぼってばかりいたので、いつもしかられていた)私の中ではフルートを吹いている時が一番楽しかったので、「フルートで受験します。」と断言してしまう。
さあ、これからが大変!なにしろ今まで先生にもつかず自己流で吹いていたので、それじゃあ無理だろうと、まず先生を探す事から始まった。
先生がみつかった時には、もう3年生も半ばに入った頃、毎週日曜日に3時間かけて、福岡まで通ったが、時すでに遅し。
受験する前からフルートで行くなら浪人覚悟でいなさいと宣告される。
私の中では浪人なんてたいした事ではなかったのだが(なにせ、私の兄は4浪してるし)母や学校にしてみれば、女の子が浪人なんてと大反対をうける。(九州ではまだまだ男尊女卑だったのかな?)
そこで、中学校まで習っていたピアノの宮地先生(母とはお友達)に説得をお願いした。先生は、二人のお嬢さんを、音大に行かせたつわものである。「長い人生一年間位たいした時間じゃないわよ」の一言で、母もその気になる。さすが!つわものである。担任は最後まで「専門学校じゅあだめなのか?」「音楽以外にも受けといた方がいいんじゃないか?」とか言っていた。けど、押し切った。(音大受験生は、初めてだったらしい)そして高校を卒業。
 
私の浪人生活が始まる。そこで「井の中の蛙」ではいけないと思い東京で浪人することにした。
どこにいっていいかよくわからなかったので、音大受験の本に載っていた小金井音楽専門学校受験コースという所に行く事にした。(寮もあったし)ここはピアノと声楽のコースしかなかったので、とりあえず声楽コースを選択、それから校長先生にフルートの先生を紹介してもらい、レッスンに通うことになる。
東京での初めてのフルートの師匠のお住まいは、学校のあるとなりの駅「東小金井」だ。近い!とても背の高い紳士的で素敵な先生だ。(やさしそうでよかった/心の声)東京フィルハーモニー交響楽団で御活躍の大和田皓氏である。この先生には、自己流だった奏法を一から変えていただいた。まず、息の出し方からだ。そして構え方、指の置き方、等など、数多くの基本を教えていただいた。レッスンに行きだしてから3ヶ月くらいは基本練習だった。私のきらいな基礎練習が全然苦にならない。楽しくてしょうがない。
こうして毎日、フルート、ピアノ、歌、ソルフェージュと音楽三昧の日々を過ごす。
(もちろん、受験に必要な国語と英語も勉強したよ)結構、楽しい浪人生活だった。
 
そして、大学受験、第一希望の音大受験では、極度の緊張のあまりスケールの調を聞き間違え、吹きなおそうとした時にはパニック状態で泣き出してしまっていた。私の一年はここで終わったと思った。泣きながら大和田先生に電話した。先生は、「まだ落ちると決まった訳じゃないから、大丈夫だよ」と言ってくれた。けれど状況を説明したら、「そうか、スケールでかぁ」と電話の向こうで黙ってしまった。しばらくして、「2浪するか?私だって3浪したぞ」と言ってくれた。私もその気になっていた。
 
数日後第二希望の短大の受験にむかう。自分の中で色んなプレッシャーが吹っ切れていたのか、まったくあがらない。自分で言うのも何だが、すべてのものがとっても上手くいってしまった。
そして、合格・・・でも、第一希望の音大へと、2浪するつもりでいた私と先生は、その旨を母に伝えた。さすがに2度目は猛反対!そして、先生と話し合い、短大の方にも私がつきたいと希望していた先生がいらっしゃるのだから、たいした差はないんじゃないかと言う事でここに行くことを決意する。
 
洗足学園短期大学音楽科入学。
ここで私が希望していた先生(テレビでアルトフルートを吹いていたおじさんを見てこの人につきたいと思った)NHK交響楽団で御活躍中の木下芳丸氏に無事つくことができた。木下先生にもたくさんの事を教えていただいた。先生は少しぼーとしている雰囲気の人だが、フルートを吹くと、それはそれは、温かい音色の持ち主で、あなどれない人物である。いつも先生は「るみ、フルートはハートで吹くんだぞぉ」とおっしゃっていた。
年を重ねるごとにその意味を少しづつ表現できてきたような気がする。(まだまだだけど・・・)その後、編入試験を受け学部の方へ進む。
 
学生の頃から、ヤマハ音楽教室の講師を勤めたり、音教オーケストラで演奏したり、ブラスの指導をしたりと結構働いていた。
そんな中で、六本木の菩提樹と言うレストランクラブでの演奏の仕事が舞い込む。
大学ではやらないような曲だらけだ。映画音楽はまだしも、ジャズぽいものまである。音符も書いてないコードだけのものは、「適当に吹け!」と言われる。なので、本当に適当に吹いた。
譜面になっているものもたくさんあるが、手書きのものがほとんどで、見にくい。おまけに、繰り返しもよくわからない。古い譜面は途中から破けている。「感で吹け!」と言われる。なので、本当に感で吹いた。
プロになるって大変なのだなぁ〜と思った。
そおこおしているうちに大学も気がついたら卒業していた。(卒業単位ぎりぎりだったらしいが・・・)
 
大学卒業後、しばらくして姉から電話があった、姉は、ドイツ語の勉強にオーストリアに行くけど、るみもフルートの勉強に一緒に行かないかと言う内容だった。なぜオーストリアかと言うと、ザルツブルグの方にモーツァルテゥム音楽院という学校があることを前もってしらべてくれていて、そこがいいのではという姉の心くばりだった。
せっかくのお誘いなので、行く事にした。ここでペーター・ルーカス・グラーフ氏にレッスンしていただいた。
姉が休みの日はレッスンの通訳をしてもらったが、よくわからなかった。
でも、なんだかワクワクしている自分がいた。
短い期間だったが、とっても有意義な時を過せたような気がする♪・・・多分・・・
 
そして、帰国。それからは、プロのミュージシャンへの道をまっしぐら!
コンサート、ライブ、ディナーショー、オーケストラ、パーティー、ブライダル、イベント、ホテルやレストランでのレギュラー等、
様々な場所で、数多くのフルート演奏をさせていただいた。
音楽の仕事を始めてから、たくさんんの人と出会い、たくさんの人にお世話になった。
幼い頃から三日坊主だった私が、今だに続いているフルート。
いつまで続けられるかは神のみぞ知るところである。
   

Last updated: 2008/4/17